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2007年 08月 14日
実家の母は戦争未亡人。
小さな田舎町の遠縁同士。 幼い頃から「許婚(いいなずけ)」とされてとてもいやだったとか。 (ちなみに母の名前は後のしゅうととなる祖父がつけたらしい) 昭和19年7月のサイパン島玉砕の際に戦死した・・・とのこと。 毎日のように戦死、空襲による爆死の報に接していると、感覚が麻痺してくるらしい。 「あぁ、そうか」 くらいの思いだったとあとで話してくれた。 「でもね、ドラマでやってるみたいな『捕虜になってまで生きて帰ってくるんじゃない』なんてことは言わないわよ。 危ないときは逃げてね、って言ってあったのよ」 母は帰ってくると思っていたらしい。 医師だったので前線に出ることなく、捕虜になっても帰ってくると。 医大では柔道部主将という立派な体格。 そして、戦死がわかってからはラジオの公報で遺体がみつかることを・・・ 「だってね、とても手の混んだお守りを持たせたから。 それだけでも帰ってくるかと思ったの」 寝たきりになり、パーキンソン病、水頭症・・・病をたくさん抱えて・・・姉夫婦が母の生前の最後の願いを叶えようということになった。 (私はたまたま直前に夫の弟が交通事故死したために不参加) 亡き夫の眠るサイパンを訪れること。 大きなベッド式の車椅子?で搭乗。 母&姉一家(姉夫婦&姪)だけで添乗員さんを頼み、バス一台チャーターしての大名旅行。 母はわかっていたのかな・・・「まだら」だったから。 亡き夫が働いていたという野戦病院はそのまま残されていた。 そこで働いていたという現地の女性も案内に来てくれた。 「先生たちは玉砕になったとき、みんなここでピストルで自決しました」 そうか、それで帰ってこなかったのね。 おかあさん、わかっていたのかな・・・その場所で「笑顔で」写っている母。 戦後、20代で未亡人になった母は亡き夫の弟である父と再婚、私たち姉妹が生まれた。 「大好きだったから・・・尊敬できるひとだったし・・・再婚したくなかったんだけど」 私たちは複雑。 再婚しなかったら生まれていないわけで。 でも、亡き夫の結婚前からの日記をいつも隠し持ち、戦地から届いた書簡を大切にしまっていた母。 どうしてもと望んだにもかかわらず、そんな母の気持ちもわかっており、屈折した思いをもっていた父。 どちらにも不幸な結婚だったと思います・・・ やはり戦争はいけません。 戦後レジームの脱却、美しい国・・・でも、戦後のいろいろな体制(レジーム)は戦勝国からの押し付けかもしれないけれど、多くの犠牲によってもたらされたもの。 戦後60年、いい意味でも悪い意味でものん気に暮らすことができる国。 この平和を子供や孫に伝えていかねばなりません。 おじさん、今、高校野球でおじさんの母校が闘っていますよ^^ 母が遺した 「亡き夫@私の伯父」 の遺書。 当時27才か28才。 いろいろな意味での教育のすごさ・・・この年齢で毛筆でこんな遺書を書く。 (彼の学生時代の日記は漢詩が多かった) 国に殉ずることを(本当はどう思っていたかは別にして)ありがたいこととして。 (亡くなる前年に書かれたものらしい。 出征先を書くことは許されていないので「北海」「寒風」などと書かれているが、実際は南洋に何度も行っていたらしい。 海軍軍医中佐) <出陣に際し 些事を述べて 遺書とす> 身を鴻毛の軽きに置き 故国を遠く 北海の果てに 屍を埋む 悠久神国に生を享け 二十有年にて 今時 聖戦に従い 今又 乾坤一擲の大作戦に 参加するの光栄に浴し 漸くにして 君恩の万分の一を 報じ得て倒る 小官の光栄 之に過ぐるもの無し 武人の本懐にして 敢えて悲しむべきに非ず 汝 家族多き家に嫁し さぞかし苦労の多かりし事と 深く その労を多とするものに 有之候(あり これ そうろう) 結婚以来 一日として 幸福なる日を 与ふる事出来ざりし事 何卒 御許し被下度候(くださりたく そうろう) たとえ 小官の肉体はここに亡ぶる共 何時の世迄も 夫婦なる事変らず 魂は常に汝の側にありて 汝を守り居候 そして次の世にて 手柄話を聞かせ申すべく 待ち居候 戦死の報来らば 日頃の申付け通り 万事処理し 親戚御一同と よく事を計り 帝国軍人の妻として 取乱す事無き様 しかと申置候 ○○家の事 呉々も 御願致置候 尚 実家 ●●家への孝養も怠る事なく 之を尽し 以て 強く 正しく 婦道を踏み行ふ様 切望致候 死地に赴くに際し 生前の恩顧を謝し 死後を汝に頼み 今や 一切を清算し得て 小官の心境 将(まさ)に 光風宵月にて候 挙艦(かんをあげて) 敵必殺の出撃に 就かんとす 誠に 賑やかなる旅路にて候 汝の作りくれたる お守り 常に 肌身離さず 所持致居候 寒風怒涛の中 出陣に際し 最早 生還を期さず 一筆認め申候 △△ ▲▲殿 七月三日
by dogs4us
| 2007-08-14 15:28
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